とりあえず到着しました会津若松駅
ここからメインに鉄道でアクセスするのは北に行って喜多方方面か、東に行って郡山方面が多いようで
レアな方向から来た感じになりますね。
南西に向かって只見線という、さらに山奥の秘境?のほうに通じる路線はがけ崩れか何かで途中で寸断し、もう何年もそのままだとか( ´△`)
北西の方向に、新潟方面に線路が続いていますが
完全に新潟県内に抜けるにはすごく時間がかかりそう。
さて、ホテルの位置を押さえてお昼、と思ったけども
チェーンの居酒屋くらいしかなくどうしよう(-_-;)
となり、とりあえず駅に併設された喜多方ラーメンの食堂にしました。
ラーメンはシンプルなものですが
麺のつるつる感が強くなかなか良いです。
それの有名なお店などもあるようですが
このセットのカツ丼は、まあ普通のでした(^_^;)
さて、一度ホテルにチェックインして
とりあえずお城は行っとかなきゃね、と
だいたいお城関係は16時くらいまでに入館
17時閉門と相場が決まっているので
のんびりせずに
観光向け周遊バスがあるので、ルートに沿って遠回りで景色を見ながら行きます。
途中、クルマでならすぐ着けそうな東山温泉のエリアの入り口と、観光向けの「会津武家屋敷」という施設をまわって
市街地のほうに戻ってくるルートで鶴ヶ城に到着。
16時ちょうどくらいで大丈夫かな?と思ったら、16:30まで入館可でOKでした(^o^)v
ここのお城は、幕末の争乱(新撰組と、白虎隊ですね)で主を失って
新しい態勢を築くときに放置され、荒れてきたため
明治に入ってすぐに解体されたそうです。
相変わらず日本史結構、勉強したはずですが
この戦国~江戸初期くらいの大名の名前とかには疎くて(^o^;)
今ある城は、戦後になってから主に博物館的な要素を強めに再建された新しめの作りなので
松本城に行ったときのように、梯子みたいな階段だとか、人がすれ違いできないような狭さとか
そんなことはなく、内部はほんとに博物館的な感じの作りでした。
外観は、屋根の色が暗めのトーンの赤というか、ワインカラーが特徴でそれを近年に寄付を募って、
塗り替えたそうです。
なので、インパクトはそれほどでも、という感じかな?(^_^;)
しかし、内部の歴史の説明はありきたりの説明でなく、教科書的な説明から一歩踏み込んでいて
興味をそそられました。
昔から、武術、学問、工芸品(漆塗りや陶磁器作り)などが優れていたそうです。
と、いうわけで17時を過ぎてお城を出たのですが
メシるのに、どちらへ向かえばいいのか
ピンとこなかったので、とりあえず歩いて一番近そうな「西若松駅」のほうへ歩いていきました。
が、実はこのお城の北側が一番街として栄えているエリアのようだ、城から北に行けばよかったな~
と、あとで分かりました( ̄▽ ̄;)
お城のあたりから会津若松駅まで北向きに
幹線道路が通っていて、その廻りが飲食店含めた繁華街なんですね
ひと駅ぶん、各駅停車に乗って隣の「七日町」に
なぬかまち、とフリガナが
そこの駅からの東に向けて、観光客向けと思われる
昔の街道っぽい雰囲気の店舗がつらなり
造り酒屋みたいなお店で、藍染めの「中将」というたれ幕?みたいなやつを通りすぎて
そこは夜だと真っ暗なのでf(^_^)、まっすぐ進むとやっと繁華街に
ほんとは、夜でもやってる蕎麦屋を探してた(会津若松は蕎麦の産地で、十割そばが有名なよう)んですが
昼しかやっていないようだったので
ちょうど通りかかった「會津っこ」という居酒屋に決めました。
つづく